モノを運ぶ技術やネットワークは、社会の発展にともなってどんどん進化しています。
物流の進化について詳しく知ることができる物流博物館で、日本における物流のあれこれを教えていだたきました。
教えてくれたのは…
物流博物館 主任学芸員
玉井 幹司さん
物流博物館
日本で唯一、物流を専門に扱う博物館。主に江戸時代以降の物流のあゆみや現代の物流の概要などを展示、豊富な映像や体験コーナーなどを通してわかりやすく紹介している。
〒108-0074 東京都港区高輪4-7-15
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江戸時代、誰がモノを運んでいた?
日本の歴史の中でも、江戸時代は物流が大きく発展した時代です。
その背景としては、江戸幕府が主要道路として「五街道(ごかいどう)」(東海道、中山道、甲州道中、日光道中、奥州道中)を整備したことをはじめ、幕府が物流に関わるインフラを次々に整備したことなどがあります。人やモノの流れが一層活発になり、水上・陸上輸送ともに運送請負業者が数多く生まれました。
また、江戸周辺の人口も最盛期で約100万人を優に超えており、一大消費地としてさまざまなモノが運び込まれていました。
当時の主な輸送手段は、船を使った水上輸送でした。海運では菱垣廻船(ひがきかいせん)や樽廻船(たるかいせん)などの大型の船を使った廻船が活躍し、木綿・油・酒といったさまざまな日用品を運びました。一隻で最大300トン程度の荷物を運べたそうです。河川もまた重要な輸送インフラとして整備されました。
江戸時代に使われていた菱垣廻船の模型。風力のみで運航していた。
陸上輸送で特にご紹介したいのは、飛脚と呼ばれる人々です。学校の教科書などで見たことがあるのではないでしょうか? 実は飛脚にも、いくつか種類があるんですよ。
例えば、幕府が用いた継飛脚(つぎびきゃく)は、宿場(街道に置かれた町場)で次の飛脚に荷物をバトンタッチする「リレー方式」で運んでいました。東海道には57カ所の宿場があり、飛脚は宿場と宿場の間、距離にしてだいたい10㎞前後を走っていました。重要な公文書の運搬を行う場合、万一に備え2人で走行し、江戸―大坂間をだいたい3~4日で運んでいたそうです。複数人で荷物を運ぶ場合もありました。
対して民営の大手の町飛脚は、主に馬を使って運んでいました。荷物には飛脚問屋の輸送責任者である「宰領(さいりょう)」(写真の模型の馬上の人物)が付き添い、宿場ごとに馬と馬子(まご:馬を引く人)を借り、荷物を積み替えながら次の宿場まで進むスタイルです。手紙や現金、小荷物をはじめ、絹糸や絹織物、紅花などの商品も運んでいました。江戸―大坂間は、普通便で十数日かかったようです。早便(速達便)、特別の仕立て便など所用日数によっては費用も大きく変わりました。
町飛脚の再現イメージ。奥に映る冊子は、当時使われていた町飛脚の走行目安表。出発時刻ごとに宿場などの通過目安時間が一覧表で記されている。
江戸時代と現代、物流の今昔を比べてみた!
陸上輸送の今昔をいろいろな視点から比べてみると、その進化がわかります! 今回は、東海道(江戸―京都・大坂間)の陸上物流にフォーカスしてみましょう。
10トンの荷物を運ぶ場合の人手と輸送手段
一般的なトラックの積載量である、10トンの荷物で人手を計算してみましょう。
江戸時代、街道の宿場には馬を貸し出す機能があり、宿場ごとに馬を交代して輸送することができました。馬1頭の積載制限量は約150kgであり、一頭ごとに馬を引く馬子(まご)という人が付きます。つまり、ある宿から次の宿まで10トンの荷物を運ぶには、67頭の馬と、67人の馬子が必要となります。そして江戸・大坂間の東海道には57の宿場があり、陸路だけの場合はさらに迂回路を利用する必要がありました。これらを計算すると、4000以上の馬と人が必要ということがわかりました。
現代はトラックと高速道路の発達などにより、江戸時代と比べれば驚くほど少ない人数で運ぶことが可能となっています。
10トンの荷物を運ぶ場合の所要日数
旅人は約2週間で東海道(江戸・大坂間約540㎞)を踏破しました。馬で荷物を運ぶ場合も、おそらく同程度の時間がかかったものと思われます。ただし町飛脚の場合は夜間も走行するため、各宿で馬を交代しても8日程度で運ぶことは可能でした。荷物が軽ければもっと速くなり、幕府の公用飛脚の継飛脚は普通便で約4日、お急ぎ便でおよそ2日と16時間でつないだとの記録が残っています。町飛脚の場合でも江戸・大坂間の混載の速達便は6日、人足が手紙一通のためにリレーで走る特別仕立て便なら3日半から4日で輸送することも可能でした。
荷姿
江戸時代の荷物は品物により包装はまちまちでした。木箱のほか、個別の包装やクッション代わりとして、稲作の副産物であるワラが大活躍したようです。明治以後もメインツールとして長く使われていた木箱ですが、作るために多くの木が伐採されてしまうため、昭和20年代後半以降、木箱から段ボール箱への素材転換が進みました。木箱よりも少ない資源で箱が作れる段ボール箱は、急速に数を伸ばしました。
同時に、「パレット」と呼ばれる台の上に複数の段ボール箱を乗せて運ぶパレット化の考え方も広まり、効率よく積み下ろしの作業や輸送ができるようになりました。ただ、「パレット」自体のサイズが国内では現在も統一されておらず、異なるサイズのパレット間での手作業での積み替えや、そもそもパレット化せずに箱を手作業で積みおろすシーンもまだまだあるようで、それらの改善が日本では急務とされています。
道路
江戸時代の街道は現代のように真っ直ぐではなく、山や川を越えなければならないルートでした。また砂利や砂で土を固めただけの道だったため、大雨が降ると道がぬかるんでしまうなど、常に安全に通行できる道だったわけではありません。
少しでも安全に、スムーズに運ぶための工夫として、東海道の一部、大津(滋賀県)−京都間では、人や馬が通るための道路と荷物を引っ張る牛車の専用道路とで道を分けていたそうです。しかも、牛車の専用道路には車輪が通る部分に2列に石が並べて敷いてあり、その石は車輪の走行で中央がすり減って凹んだレールのようになっていたため、牛車が走行しやすくなっていました。この石を「車石(くるまいし)」といいます。当博物館では当時使用されていた車石の一部も展示していますので、ぜひ見に来てくださいね。
生鮮食品の運び方
江戸時代、氷は超がつくほどの高級品だったため、冷やす用途としては使用されていませんでした。それでも、房総や現在の神奈川県、伊豆半島などからは、超快速船を使って夏でも江戸まで生魚を運んだりしていました。もっとも、魚介類などの生鮮食品を運ぶ際は、鮮度を保つために塩漬けにするなどの工夫が広く行われており、風通しの良いカゴでできるだけ早く運ぶように心掛けられていたようです。生魚は人や馬でも運んでいますが、運搬中は常温のため、目的地に着く頃には鮮度が落ちて食べられなくなった、なんてこともあったと思われます。
現在は冷却設備が備わったトラックにより短時間で輸送でき、消費者の手に届くまで低温を保つ設備ができているため、遠い場所からトラックに積まれた生鮮食品もおいしく食べることができるようになりました。
実は変わらないところも?
江戸時代の馬を使った飛脚と、現代のトラック輸送。実は共通している部分もあるんです。
1つ目は、「リレー方式」をとっていること。
宿場ごとに馬や馬子を代える町飛脚のように、現代のトラック輸送でも物流拠点で次の区間のトラック・ドライバーへとバトンタッチする「リレー方式」が活用されています。長距離の輸送を何人かで分担することで、運ぶ人の負担を減らすことができます。
2つ目は、利用運送を実施していたこと。
利用運送とは、鉄道や船舶、航空機、トラックなどの実運送事業者に輸送業務を委託することで、顧客から預かった荷物を運送する事業のことです。
江戸時代、町飛脚という日本全国への輸送を手配する利用運送事業者が日本史上初めて成立しました。商人である輸送事業者が自分たちで各地に人馬を用意しようとすると莫大な費用がかかります。そこで、大手の飛脚問屋であった町飛脚は既に整備されている宿場の人馬を活用して商売を行ったのです。輸送日数や価格面で多様なサービスを用意し、日本各地へ赴任する幕府の高級役人や大名家、遠方と取引を行う大店などに営業をかけました。また遅延や荷物の紛失、破損などの輸送事故に対してもきめ細かな対応や弁償などを行うことができたようです。
既に整備されていた宿場のリレー方式による実運送のシステムを利用することは、輸送のスピードを確保し、また輸送経費を抑える上でも大変合理的だったといえます。
3つ目は、積載率を上げる工夫をしていること。
同じ距離を行き来するのであれば、できるだけ多く物を運んで効率よく商売をしたい。その考え方は、今も昔も変わりません。町飛脚では荷物が足りない時に顧客を回って出荷を呼びかけたり、速達便については同業者で共同輸送するなど、今も昔も積載率をアップして効率を上げる工夫をしています。
玉井さんからひとこと
「物流」と聞くと、自分の生活とは少し距離があるように感じるかもしれません。しかし、私たちの衣・食・住すべてを支えている、大切なインフラといえます。
昨今は、物流業界で働く方々の働き方改革について、注目が集まっています。働き方改革は関心を持つことから始まります。私たちの生活を支えている物流業界にぜひ関心を持っていただきたいです。
物流博物館では、江戸時代以降の物流のあゆみがわかる貴重な資料を多く展示しています。ぜひ物流の歴史に触れてみてください。
【Part2 あなたの身近に迫る、物流の危機】では、現代の物流シーンを脅かす、ある問題について詳しくご紹介します。他人事ではないかもしれません。