2025年 大阪・関西万博にて、ニチレイフーズは「EARTH TABLE~未来食堂~」エリアに、レストラン「テラスニチレイ」を出店しています。
実は、ニチレイが万博にレストランを出店するのは今回が2回目。初出店は1970年の大阪万博でした。
今では多くの人にとって、当たり前の存在になっている冷凍食品。
しかし当時は、まだまだ馴染みの薄いものでした。
そんな時代に、なぜニチレイ(当時:日本冷蔵)は、冷凍食品を使ったレストランを出店したのでしょうか。
その道のりを、当時の時代背景とともに振り返ってみましょう。
世界中が注目する舞台で 冷凍食品の可能性を披露
オレンジを基調にした外観が印象的な、2階建てのカラフルな建物。
こちらが、55年前の大阪万博でニチレイ(当時:日本冷蔵)が出店した「テラス日冷」です。

「テラス日冷」で提供したのは、当時はまだ珍しかった業務用冷凍食品を使ったハンバーグやビーフシチューなどの洋食メニュー。一定の品質で、大量の料理を提供できる冷凍食品を使ったレストランは、まさに革命でした。
今となってはニチレイを代表する事業の一つである冷凍食品ですが、私たちニチレイの歴史は、冷凍・冷蔵倉庫事業、水産事業からスタートしました。
戦後の混乱期の中で確信した “食料を届ける”という使命
時代は、第2次世界大戦のさなか、1942年にさかのぼります。
長引く戦争で生活物資がますます不足していく中、国が必要な食料を管理するためにつくられたのが、ニチレイの前身であり国策会社である帝国水産統制株式会社でした。
その後、終戦により帝国水産統制株式会社は歴史に幕を閉じることになったものの、当時は終戦後の混乱期。日本国内の食料は十分ではありませんでした。
「このままでは、日本は食料難で苦しむことになってしまう。会社を民間企業として存続させ、国民に食料を届けなければ」
そんな思いから、1945年、民営会社・日本冷蔵株式会社(現:ニチレイ)として再スタートを切ることに。戦後の不景気の中、「総合食品事業」への多角化を目指して、畜産事業・加工食品事業、物流事業など、新たな事業分野に次々と挑戦してきました。

日本冷蔵の冷凍魚売り場
東京オリンピックが開催。 世界中から訪れた選手たちに料理を振る舞う たった一つの手段
そして1959年。
5年後に開催される第18回目のオリンピックの開催地として、東京が選ばれました。ここで一つ、ある問題が浮かび上がってきました。
オリンピックでは、選手たちの食事を開催国の料理人が作るのが通例。つまり、世界中の料理を日本で提供しなければならなかったのです。
当時の日本の外食産業はまだまだ発展途上。なおかつ、オリンピックに出場する選手だけでも5,000人以上に及びます。
「大量の料理を国内で提供するには、一体どうしたら……」
その課題を解決する方法が、冷凍食材を使うことでした。
しかし当時はまだ、「冷凍食品は味が劣る」という先入観が根強かった時代。料理人たちは、冷凍食材の調理法を研究し、日夜、懸命な努力を重ねました。
そしてオリンピックが開幕。
ニチレイ(当時:日本冷蔵)を含む複数の企業が、世界各地から訪れた選手たちに冷凍食材を使った多種多様な料理を振る舞ったことで、冷凍食品は一気に知名度を上げていきました。
外食産業元年といわれた1970年。 大阪万博でニチレイが示した未来の食の姿とは
そして1970年、アジア初となる万国博覧会、大阪万博が開催。
「人類の進歩と調和」をテーマに77の国と地域が参加し、116の展示館で世界各国のあらゆる技術や文化が紹介されることになりました。
当時は高度経済成長の真っ只中。家庭用冷凍食品の利用が徐々に進んでいた時代でもありました。
「冷凍食品を使ったレストランを出店することで、業務用冷凍食品の活用方法や、調理オペレーションの知見を広める機会になるのでは」
そんな思いからニチレイ(当時:日本冷蔵)は、冷凍食品を使ったレストラン「テラス日冷」と売店「日冷コーナー」を出店することにしたのです。

冷凍食品の未来に向けた技術を、2025年の万博で
結果として、「テラス日冷」は安全でおいしい食事を迅速・大量に提供したことで、訪れた方々からたいへんご好評をいただきました。
この大阪万博で、冷凍食品の優れた品質や調理技術を披露したことにより、冷凍食品に対する世の中のイメージは徐々に変わっていきます。
大阪万博をきっかけに、外食産業では「冷凍で常備し、来客に応じて調理・提供する」というオペレーション体制も確立。ファミリーレストランやファストフードが次々と登場し、後に外食元年と呼ばれるほど、その勢いは増していきました。
そうした需要の変化に合わせてニチレイは、1976年には街中の小型レストラン向けにも業務用商品を発売。やがて冷凍食品は、外食産業においてなくてはならない存在になりました。
その後もニチレイは冷凍食品のパイオニアとして、さまざまな冷凍食品を打ち出し、食の未来を切り拓いてきました。
2025年の大阪・関西万博では2度目となる「テラスニチレイ」を出店し、ニチレイフーズが55年の時を経て考える未来の冷凍食品のあり方をお伝えしています。
【Part2 未来の冷凍食品のあり方を体験できるレストラン 55年の時を経て復活した「テラスニチレイ」とは】(8月公開予定)では、ニチレイフーズが2025年の大阪・関西万博で出店しているテラスニチレイの内容や、開幕後の様子をお届けします。