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2024.03.01

いつも、私のアイスダンスの可能性を
信じてくれた人がいた

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MY STORY

いつも、私のアイスダンスの可能性を
信じてくれた人がいた

豊かな食や、安定供給を担う物流サービスが、たくさんの人の手で支えられ成り立っているように、私たち一人一人も、さまざまな出会い・思いがけないめぐり合わせから生まれた「縁」に支えられています。
「MY STORY」のコーナーでは、ニチレイグループが応援している活動をはじめ、さまざまな分野で活躍している人たちが経験した「人との縁」や「食にまつわる思い出」に焦点を当てた物語をご紹介します。

今回は、アイスダンス選手として2023年に現役を引退するまで、2018年平昌オリンピックをはじめ世界を舞台に活躍し、アイスダンスの魅力を届けてこられた村元哉中さんにお話を伺います。

村元 哉中(むらもと かな)

1993年生まれ。シングルスケーターとしてキャリアをスタートし、2014年に野口博一をパートナーとしアイスダンスに転向。その後2015年6月、クリス・リードとカップルを結成し、2015年・2016年・2017年の全日本選手権を3連覇、2018年の四大陸選手権で銅メダル(日本アイスダンス史上初)、平昌オリンピックで15位(日本アイスダンス最高位タイ)などの成績を残す。
2020年1月からは、髙橋大輔氏とカップルを結成。2020年の全日本選手権で2位入賞、2022年1月の四大陸選手権で銀メダル、2023年の世界選手権で11位(日本歴代タイ)という記録を残す。
2023年5月に競技会より引退し、今後、ソロ及び髙橋大輔とカップル、二足の草鞋でショースケーターとして活躍していている。

村元さんと「ニチレイ」

小学生の頃、夏場は、当時ニチレイさんが運営していたスケートリンク「姫路アリーナ」で練習していました。当時、館内にあった自動販売機で、ニチレイの「焼おにぎり」を買って食べることが、毎朝の日課になっていたことが思い出に残っています。
また、現役時代は、アスリートとして「食」も大切にしていましたが、手軽に、栄養も摂れるニチレイさんの冷凍食品にお世話になりました。

ともに「物語」をつくる

「アイスダンス」の魅力。
たくさんあって、一言では語り尽くせませんが、あえて選ぶなら、私は「技術」と「美しさ」にその魅力が詰まっていると思います。


まず、「技術」。
実はアイスダンスには、「フィギュアスケートの基礎」が詰まっているんです。
現代のアイスダンスには、華やかな表現や技も多いように見えますよね。でも、フィギュアスケート全4種目※1の中でも、アイスダンスは特に「基礎」が求められるカテゴリなんです。

※1男子シングル、女子シングル、ペア、アイスダンス

フィギュアスケートは「figure(図形)」が語源で、スケート靴の刃で、氷上に正確に図形を描くことから発展した競技。現代のアイスダンスでも「トレース」という滑走の軌跡の正確さを、厳しく審査されます。さながらフィギュアスケートの原点をたどるような種目なんです。

そして、「美しさ」。
「氷上の社交ダンス」とも呼ばれるアイスダンス。二人の滑走が一体となっていなければ、得点にもつながりません。それを支えているのは高い技術ですが、それだけではなく、「二人がどんな物語を伝えたいか」ということも大切なんです。



どんな演技構成にするのか。
どのタイミングでリフトを入れるのか。
リフトとスピンをつなぐステップをどうまとめるのか。
二人の視線をどこに送るのか。
そうした一連の動きを通じて何を表現したいのか。


例えば、曲が『オペラ座の怪人』であれば、元となる物語がある分、カップル二人の間では「こう表現しよう」というのは、比較的定まりやすいもの。
でも、歌詞や台本のないクラシック音楽だったら、「どんな物語を表現するのか」を、二人でイチから組み立てていきます。でも、それを組み立てる過程にも、二人で演じるからこその「難しさ」と「奥深さ」があります。

私には、私なりの表現したい物語がある。
パートナーにも、パートナーなりの表現したい物語がある。

時に相手の考えを尊重し、時に熱い議論を交わし、ひとつの物語を組み立てていく。二人で考え、二人で演じるからこそ、物語は2倍、3倍へと広がっていく。そのため、同じ曲でも、ペアによって違う物語のように見えてくる。

これは、一人だけでは作れない「アイスダンスの美しさ」だと思います。

アイスダンスに歓迎された日

そんなアイスダンスとの出会いは、大学2年生の時でした。

子どもの頃からずっと一緒にフィギュアスケートをやってきた姉が、現役を引退することになったんです。ずっと切磋琢磨してきた存在が、現役の舞台から去る。私の心にぽっかりと穴が開いてしまいました。

それに加えて、当時はフィギュアスケートの競技性が大きく変わり、より高度なジャンプが重視されるようになった時期でもありました。この変化は、ジャンプが得意ではなかった私にとって、フィギュアスケートの楽しさを見失ってしまうほどの大きなものでした。


そんな時だったんです。「アイスダンスに挑戦してみたら?」と、トライアウトのお誘いを受けたのは。


実は、それ以前にも、周囲から「哉中ちゃんは、アイスダンスに向いていると思うよ」と言われたことはありました。でも、私自身はアイスダンスをやることを全くイメージできなかったんです。それに在籍していた大学には、シングルでの成績を評価・期待していただいて入学しましたから、在学中にカテゴリ変更することに私自身が躊躇していました。

それでも、周囲の皆さんは背中を押してくれたんです。
「アイスダンス、絶対にいけるよ!」って。

そして、アイスダンスへの転向を決断。転向初戦は西日本選手権という大会。
本番を迎え、リンクに立つと、客席からは大きな拍手――。

「皆さんが、私のアイスダンスへの挑戦を歓迎してくれている」
そう感じさせる、温かい拍手でした。

「できないは、ない」と信じさせてくれた人 

そうして始まったアイスダンス人生は、本当に「人の縁」に恵まれました。
それを感じた出会いのひとつが、2020年〜2023年にカップルを組んだ、髙橋大輔選手との出会いです。

髙橋大輔選手。2010年バンクーバー冬季オリンピックで銅メダル。2014年まで現役を続けた後、一度現役生活を離れる。その後、当時32歳で現役復帰し、アイスダンスへの転向を表明。2023年5月に現役引退。

髙橋大輔選手とカップルを組む時、「オリンピックを目指す」「国際大会で優勝する」といった野心は、全くありませんでした。
それよりも、ただ純粋に「一緒に、ひとつの作品をつくってみたい」「髙橋大輔選手となら、何かすごい作品がつくれるんじゃないか」と思っていました。

競技者である以上、大会で結果を出すことが求められる。
でも、私は「観客の皆さんの記憶に残る演技がしたい」ということを、それ以上に大切にしてきました。
そうした思いも含めて、髙橋大輔選手とは、お互いに表現したいもの・目指すものが同じだったんです。だからこそ、充実した三シーズンを送り、ラストシーズンの2023年の世界選手権で、コーチも含めたチームみんなが、心から集大成と言える演技ができたと思います。

……と同時に、髙橋大輔選手との出会いは、私のスケーターとしての人生観を変えることになりました。

実は、私はずっと「現役を引退したらスケーターとしてリンクに立つチャンスは、もう無い」と思っていたんです。
世界のトップで活躍した選手にはアイスショーという次の輝ける舞台がある。でも、自分は、そのチャンスからほど遠いと思い込んでいました。まして、「村元哉中」というスケーターは、アイスダンスを通じて広く知っていただいた存在。アイスダンスが二人一組で演じる種目である以上、相手がいなければ成立しないし、そのオファーがあるとも限らない……と。

でも、そうじゃない。そう気付かせてくれたのが、髙橋大輔選手でした。
「哉中ちゃんは、一人でも作品を表現できる選手だよ!」


その言葉に背中を押され、私は、アイスショーで演じることに挑戦しました。その初挑戦となるショーには髙橋大輔選手、アンドリュー ポジェ選手、ステファン ランビエル選手、そして私というメンバーでのプログラムもあれば、もちろんそこには、私一人で演じるプログラムもありました。


アイスダンスを始めた時。
現役を引退して次のステージに進む時。
大変な時も、大きな決断をする時も、必ず背中を押してくれる人がいました。
私にとってのアイスダンスのキャリアは、人の縁がつないだ物語でした。

「演じる側」から「支える側」になって

現役を引退した今、私は「世界で活躍する振付師」を目指しています。

競技者として「厳格なルールの中で、どう表現するか」を追求してきた経験をして。
現役引退後にアイスショーで「ルールのない、自由な表現ができるアイスダンス」を経験して。
そして、「演じる側」だけでなく、振付や編曲をする「支える側」にもなって。
……アイスダンスには、まだ自分も気付かない表現の可能性がある、という新しい発見に日々出会っています。だからこそ、どうすればスケーターの個性を活かす振付や編曲ができるだろう、どうすればルールの中で表現できるだろう、と私自身とてもワクワクしています。

そんなアイスダンス、フィギュアスケートの魅力を、これからも多くの人に届けていきたいです。

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